41日め

2015年2月17日に生まれた長男の生後41日めからの記録

恩蔵絢子「脳科学者の母が認知症になる」

母の35年来の友人が闘病の末亡くなった。がんだった。

母はすっかり塞ぎ込んでしまって、体調を崩して寝込んでる。以前読んだ本に、息子にとって母親はシェルターのような位置付けだから、母の老いを感じると自分の安心できる場所が壊れていくような不安感を覚える。だから息子が母を介護すると、シェルターを強固にしたいためか、無理なトレーニングを強要するケースが多い、という話が載っていた。

わたしも母親が体調崩してると心配だし、不安になる。介護の話など聞くと、わたしの両親もいつかは認知症になるのかなと想像する。ただ、両親が認知症になったらどうしよう?と不安になるだけでその先がよくわからなかった。

恩蔵絢子さんの「脳科学者の母が認知症になる」は、認知症のことを知りたくて読んだ。実際は認知症のことというより、身近な人間が認知症になったときに何ができるか?どう寄り添うか?ということが書いてあって、すごく希望の持てる内容だった。特に、認知症の困った症状としてあげられる「攻撃性」と「徘徊」についての箇所。認知症になったからといって、すぐに両親が両親じゃない別の人になるわけじゃない。それがわかっただけでも、この本を読んでよかった。

 

・人は、以前できたことができなくなったとしたら、それは「その人らしさ」を失うことになるのだろうか?その人の記憶こそが、はたして「その人らしさ」を作っているのだろうか。

・物事が起きる確率とは、起こりうる可能性の全域が定義されているときだけ計算される。

アルツハイマーの困った症状としてよく言われる「攻撃性」「徘徊」は周辺症状であって、緩和が可能であるとされている。(海馬の細胞が永久に傷つくことによる記憶障害、見当識障害、理解力判断力障害は治らない)

・攻撃性について、前頭葉の損傷による緩和の難しい攻撃性もあるが、もしもそれが起こるとしたらアルツハイマー病ではかなり進行してからとなる。それよりも、何をやるにも助けを求めなくてはならず、患者の自尊心が保てなくなることから現れる攻撃性のほうがずっと多い。

・徘徊についても、「ここには自分ができることがない」「必要とされていない」と不安や焦燥感から外へ出て、帰る道を見つけられなくなる。

・日本でアルツハイマー治療に使われる薬には疑問視されており、実際フランスの保健省は「十分な効果があるとはいえない」と判断して医療保険の適用外とした。

・しかし薬以外で奨励されている治療法がある。運動療法音楽療法、回想療法などである。回想療法とは、思い出を語り合って孤独感を減らし、大事な記憶を思い出して安心感を得たりする方法のこと。残っている記憶を使ってポジティブな感情を活性化できる可能性がある。

・オランダでは、認知症の恐ろしいイメージにより、認知症になったらいかなる治療も行わず、安楽死させるように意思表示する人が増えている。しかしアルツハイマー病の人には幸せを感じる能力が残っている。「今現在幸せな状態にある人を、覚えてもいない事前の意思表示に従って安楽死させるべきか?」という議論も起こっている。

認知症患者の、第三者から見ると一見おかしな行動もじつは、自分の問題を乗り越えるために考え出した行動であることが多い。

・海馬が傷ついていても、新しく学べることはある。そして、言語では忘れたことになっていても、体はしっかり学習していることがある。

脳科学のいまの常識としては、「感情がないと理性的には行動できない」。

・たくさんの感情を感じられる人ほど挫折からの立ち直りが早い。一つの出来事に、どのくらい多くの感情を持つことができるか、それはこの世の中を生き抜く一つの知性である。

アルツハイマー病の人たちには感情が残っている。認知機能の作る「その人らしさ」の他に、感情の作る「その人らしさ」がある。

アルツハイマー病を持つ人々は、体を通して、新しいことを学び続けることができる。意識的には取り出せなくても、体には積もっている。